kenzee「菊地成孔さんがaiko大好きなのだそうだ」
司会者「意外ですな」
kenzee「ラジオにてaiko好きを告白しているのだが尋常じゃない愛なのだ」
司会者「菊地さんってもっとタイの巨乳美人みたいな人が好きかと思ってました」
kenzee「でも、あんな人、菊地さんのお住まいの歌舞伎町にはいないよ。たぶん、キャバクラとか行ってもいない」
司会者「貧乳で面接落とされるしね」
kenzee「なんでも聞いてみないとワカランなあ。最近、聞いてみないとワカランこと多いワ。友達が知らない間に結婚してたりして。しかも子供ももうすぐとか。これがまったくそういうタイプじゃないヤツなんですよ。あと、若い頃は運動のウの字もなかったヤツがスゴイ鍛えてたりとかね。そうするとこの20年ぐらいの私の人生とは…とか考えるようになってだな」
司会者「あんまりaikoの話する気分じゃないと」
kenzee「テンションは下がっている」
司会者「でもマラソンは走っていただきます」
kenzee「今回は2002年9月に発表された4thアルバム「秋 そばにいるよ」だ。2002年といえばそろそろCD業界のセールスの落ち込みが深刻化してくる時期だ。シングル3枚を含んでいるが、オリコン最高位は2位と健闘した。この頃から前作における「ボーイフレンド」のようなインパクトのあるシングルがなくなっていく。これは業界全体がいわゆるヒット曲がだせなくなっていった時期なのだ……ハ~ア~結婚か…子供か…さて、1曲目からいこう」
・1曲目「マント」
kenzee「珍しく16ビート曲で幕を開ける。しかもドラムループつきだ。つまり、「花火」以降の1曲だ。EonG#から下がっていくヘンなコード進行のイントロに続いて割と素直なAメロが始まる。最近気づいたのがaiko曲には必ずイントロとアウトロがあるということだ。これほど実験的なaiko曲がトータルとして歌謡曲に聞こえるのはナゼかと考えていたのだが、ひとつの要因としてこの、イントロアウトロつきが考えられるだろう。洋楽育ち、とくにブラックミュージック育ちを自認するバンドにはこのイントロメロというのは少ない。イントロ用メロがあるとどうしても「さあ、ハリキッテ歌っていただきましょう!」みたいな感じになるし、なに聞いても筒美京平かシャ乱Qのように聞こえてしまう。ストーンズやビートルズを想起していただければわかるが、洋楽のイントロで圧倒的に多いのは楽器が折り重なっていくヤツ(オルタード…レイヤーなんとかって確か言葉あったと思う)だ。aikoは相当洋楽に精通しているハズだが頑なにイントロアウトロを守ろうとするのだ。これが結果的にaikoからサブカル感を拭っている。実験的なのに実験的に聴こえない秘訣がここにあるようだ。しかし、aikoの16ビート路線の曲は大体好きだが、これはあまり上手くいっていない気がする。なんか例のポール曲に行きたいのか「花火」的なトレンドを追おうとしているのか判然としない曲だ」
司会者「なんか、ハギレ悪いね」
kenzee「子供かア……」
・2曲目「赤いランプ」
kenzee「珍しくマイナーコードから始まる。ディストーションギター2本によるギターロック。いつもよりチューニングの高いスネアがバンド感を高める。ただし、アレンジにまったくアイデア性が感じられない。ギターが2本とも似たようなストロークをジャンジャカやっているのはどういうわけか。迷いが感じられる。確かにイマイチ方向性の見えない曲だがなにかアヤをつけたいところだ。また、ギター曲の割にFm→F→A♭とギターにとって結構ツライキーなのも考えものだろう。ヴォーカルに合わせたキーだというのは理解できるがこの曲調なら理想のキーはAmだろう。消化不良の1曲」
司会者「ハギレ悪いなア」
・3曲目「海の終わり」
kenzee「再びC#m7というマイナーコードからスタートするイントロ。16ビートのギターサウンド。「マント」以上の残念感が漂う。大体このアルバム、こんなに長時間ギターがジャンジャカ言ってるのも辛い。吉田拓郎じゃないんだから。「秋をテーマに」という企画意図があるので、マイナーキーということなのだろう。その発想だけはいい悪いではなく、不思議な感じがする。70年代のフォークシンガーならまだしも90年代の終わりにデビューした人の発想とは思えない。ちなみに小西康陽さんは秋をイメージして、と言われるとスグメジャーセブンスコードを弾いてしまう、と言っていた。それは理解できる。秋→マイナーコードというセンスはもはや稀少だと思うのでその感性は大事にしてほしいものだ」
・4曲目「陽と陰」
kenzee「「愛の病」の続編のようなAm7-5から半音下がり進行のギターロック。アンサンブルは「愛の病」と同様。しかし、愛の病ほどハっとするポイントは見当たらない。メロディもコード進行に沿ってとってつけた感が否めない。この頃のaikoは実に不調だ。そもそもこの人の資質的にギター音楽は向いてない気がするのだ。そもそもAm7-5→A♭M7→Gm→G♭みたいな進行にリフをつけることはギターという楽器の構造上、不可能である。となると、愛の病同様ギタージャンジャカロックにせざるをえない。ギターサウンドが好きなのはわかるが、作曲家としての彼女はギター曲には向いていない。今のところ、このアルバムの方向性が見えない。心配だ」
・5曲目「鳩になりたい」
kenzee「ようやくaikoらしいシャッフルビートの60年代ブリティッシュポップの登場である。ファーストに入っていてもおかしくない、のびのびとした1曲。なによりドラムが楽しんで叩いているのがわかる。ムリにサンプリングループとか同期ものと合わせるとかやるとロクなことがない、というのがこのアルバム前半の教訓であろう」
・6曲目「おやすみなさい」
kenzee「バラード作家としての才能が発揮された1曲。ザ・バンドを思わせるイントロに続きてすべての楽器が必然性をもって存在する。右チャンネルのアコギと左のエレピがまったく食い合うことなくコードを支える。サビの歌メロとストリングスが食い合うこともない。完全にバランスのとれたアンサンブル。前向きな別れのシーンが描かれるが、詞、曲、アレンジ、どこにもムダがない。まさに情景の浮かぶ曲だ。「赤いランプ」あたりだとスタジオで演奏者みんなが眉間にシワ寄せてやってる光景が目に浮かぶのだ。レコード演奏たるもの、スタジオ風景が想起されてはいけないのだ」
・7曲目「今度までには」
kenzee「「飛行機」の続編のようなブリティッシュロック。半分が過ぎたが今回はこれでもかというほどのディストーションギターの世界。そろそろオナカいっぱいだ。後半で挽回があることを祈る」
・8曲目「クローゼット」
kenzee「まさかのディキシーランド・ジャズ! これだ!これなのだaikoに求めるものは。アメリカ南部へ向かったときの作家aikoの冴えは尋常ではない。たった3分の曲だがこの1曲だけで1000円ぐらいの価値がある。前半2分ぐらいはジャズのアンサンブルで後半いつものセッションとなる。想像だが、おそらくいつものセッションで丸々1曲録ったのだろう。だが、誰かが「コレ、本物のディキシーみたいにしたら面白いかもシンマイ!」とアイデアがでたに違いない。そういうアイデアを誘発するような曲というのがあるのだ。「イジワルな天使~」とか。コレがなかったらホントに辛いアルバムだった。たった3分が全体を救ったのだ」
・9曲目「あなたと握手」
kenzee「見事なオケ! 迷いのないアレンジ! この曲はストリングスのバックメロの勝利である。一体、前半の迷いまくりのギター世界はなんだったのかというほど後半で盛り返すアルバムである。突進してくる8ビート。まったくムダのないアンサンブル。ハープが鳴る、ハンドクラップが鳴る。ティンパニが轟く。ストリングスが常に歌と戦いながら高めあってゆく。ベースのミックスがデカイのもいい。ロックンロールオーケストラとしか呼びようのない見事なセッションである。ここまで完成度の高いオケで果たして線の細い声の歌手が対抗できるのか。その緊張感たるや尋常ではない。このアレサ・フランクリンや美空ひばりのような大歌手が乗ってもおかしくないオケで歌手aikoはよく戦った。この曲に関わった全員がひとつのイメージへ向かっていったとわかる、全員野球のオケ。このセッションが終わった瞬間、スタジオから歓声があがったに違いない。こんなオケを聴いたら友人の結婚も素直に祝福する気になる」
・10曲目「相合傘(汗かきMix)」
kenzee「スミスのような80年代ニューウェイヴを思わせるチェリーレッドやラフトレードといったレーベル名が想起されるキンキーな1曲。これはギター曲だけどいい曲ですよ。こういう曲はピアノで作った段階で完成品が作者に見えているのだと思う。とりあえずできたが、アレンジどうしよう、みたいな曲は最後まで方向がさだまらないまま、座礁してしまうことになる。しかし、後半の打率の良さはどうしたことか。このアルバムもしかして曲順設定ミスなのではないか」
・11曲目「それだけ」
kenzee「「初恋」の続編のような大作のバラード。鉄板。エンディング近くで「ただあなたが好き」と繰り返す波のようなグルーヴは見事だ。ありきたりの言葉に命が吹き込まれる瞬間のドキュメントだ」
・12曲目「木星」
kenzee「必ず1曲入るヘンテココード進行のワルツ曲。この変態作家とギター作家が同じ人物の中に同居していることの不思議。この曲のメジャーセブンス感にようやくボクは秋感を感じることができた。「届けられるもの すべてを両手に抱え~」の転調で聴く者すべてをクルマ酔いにさせる悪魔のナンバー」
・13曲目「心に乙女」
kenzee「キャロル・キング、ローラ・ニーロ、ジェームス・テイラーといった70年代のニューヨークのシンガーソングライターを想起させる内省的なバラード。たどたどしいトイ・ピアノにストリングスが絡む針小棒大なアレンジが都会に生きる若者の内省的なつぶやきを演出する。ウィスパーヴォイスで歌われるのはささやかな祈りだ。このアルバムで彼女は歌の表現力が一気に増したのである」
・アルバムトータルの感想
kenzee「とにかく前半はヒヤヒヤした。後半盛り返したからよかったものの、前半のギター大会はいただけなかった。ギターが好きなのはわかるが自身の資質とよく相談するべきだ。そもそも線の細いソプラノ声の歌とディストーションギターは相性が悪い。耳、キンキンしますワ。「秋 そばにいるよ」言いながらこんなガーガーギター聴くことになるとは思わなんだ。それより自身のバラーディアンの資質ともっと向き合うべきだ。「あなたと握手」「心に乙女」「クローゼット」の60年代の東海岸の世界、グリニッチ・ヴィレッジのコーヒーハウスすら想起させるニューヨークの世界。ラヴィン・スプーンフル、フィフス・アヴェニューバンド、ピーター・ゴールウェイ……。こういう世界ができる人なのだから。このアルバムの後半を聴いて、思わず山下達郎のファーストのA面を聴きたくなった」
司会者「「クローゼット」は驚きでした。ああいうことをやってサブカルというかポストモダン的なニヤニヤ感がでないのがスゴイ」
kenzee「ウン、あれをピチカートとかがやるとちょっとイヤらしい感じになるはずなのだ。おsれがaikoがやると本物感がでる。これは「傷跡」でも感じたことだ。とにかくボクは「傷跡」とか「クローゼット」のようなニューヨーク感が今後、どう成長するのかを見届けるためにこの企画を続けるだろう。もう、ギターはオナカいっぱい。というわけで次回は「暁のラブレター」だ。今回「マント」で苦戦した16ビートの扱いに「アンドロメダ」で爽快に決着をつけたりなど聴きどころがある。それにしても、みんな結婚したり子供産んだり、家建てたりしているが、それでもボクはマラソンを続けるのだった。」